我が就活日誌

就職活動について書いた手記を補足し、まとめた。

二次選考に備え、ショールームを見学。

今日は、近く二次選考を受ける会社のショールームを見学した。

 

空間を演出する素材やデザインに着目し、表現できる雰囲気について考察をしながら見て回った。イメージしやすいのが、ショールームの良い部分だと思う。

 

パンフレットも何部か頂き、企業研究に使うことができる。獲得した情報を見極め、しっかりと整理することによって今後の選考の対策を練っていきたい。

カメラの練習。

今日も、講義の前後でフィルム一眼レフの練習をしていた。

 

デジタルカメラとは違い、写真を撮る際の構図が考えにくい。同時にそれはフィルムカメラの良いところでもあり、撮ってすぐに完成形が分からないのは面白い。

 

いわゆるデジタル一眼レフコンデジのようなディスプレイがなく、自らの想像だけが頼りになる。ピントが合わないこともあるし、機構が原因のミスもある。

 

具体的には、ファインダーからはチリが見えても記録に写り込まなかったり、その逆もあったり。悪いところは、…修理やフィルムの入手が容易でない点か。

 

他にも書きたいことはあるが、またいつか。読んで分かる通り、ここ数日は就職活動について動きがほぼ全くない。選考の結果が、ひたすら待ち遠しく感じる。

停滞が続く。

どの会社からも、選考の結果が出ない。

 

足踏みをしている直近の数日間を生かすことが大切だったが、いかんせん先が見えない不安が僕を抑え込んでいるのだから、歯がゆくもあり無気力にもなる。

 

やはり書くことが見当たらないため、直近の予定を済ませるよう工夫する。

明日以降も、普段通りに過ごす。

2連休は、今日で終わる。

 

明日は、能力検査を受けてからゼミへ参加。大学の勉強も就職活動も、苦痛に感じる部分はない。何事も工夫と継続が肝要で、いずれかが欠けても成り立たない。

フィルム一眼レフと戯れる。

せっかくの休日なので、昼過ぎまで寝ていた。

 

夕方からは、フィルム一眼レフを操作。コンデジよりは複雑な機構だが、それでもさらに古いフィルムカメラよりは自動化された部分が多いのだろう。

 

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…修理・調整をどうしたら良いかは、また後日考える。カメラについても、いつか詳しく書きたいと思ったり。なお、デジタル一眼レフは持っていない。

第一志望の企業で一次選考を通過。

いつも通り、タイトルに凝縮する。

 

面接後も不安が拭えず落ちた場合を想像していたが、何とか次へと進むことになった。現在、展開する都内の様子を自分の目で見て、考えた内容をまとめている。

 

仕事を始めるとなれば、そこには主体性が欠かせない。ただボンヤリと見て終わりにはせず、『ナゼか?』『ドウシテか?』という視点を持ち続けたいものだ。

何とか、書類選考は通過。

タイトル通りである。

 

エントリーシートの内容には全く自信がなかったため、おそらく今後を見据えた希望的観測から通過させたのだろう。実際にそうであれば、ひたすらに嬉しい。

 

世界情勢を概観していると、世間を性悪的に見てしまいがちになる。だが、このところは『交渉を積み重ねることで理解が深まるという実感』が大切だと思う。

 

少なくとも、この就職活動の機会を悔いのないものにしたい。

グループワークは、事前の練習が必須。

今日は、業界大手の某社の選考に行ってきた。

 

内容は、『グループワーク』だった。具体的なテーマについては言及しないが、スピード勝負とも形容すべき傾向が見られ、ついていくだけで苦労した。

 

これには2つの理由が挙げられる。まず、何よりも自らの準備不足が否めないという部分だ。そして、周囲の学生の能力の高さが指摘できるだろう。

 

それでも、今回の至らなさは惜しかった。準備さえすれば、相応の対応ができたのである。準備の大切さを感じたことから、今日はこの点を強調する。

祝・『ブログの開設から100日』。

どうやら、今日がこのブログの開設100日目らしい。

 

何となく気が進まず、後から加筆修正したこともあったが、そうこうしているうちに継続できた。これからは、書いた情報を拡げる工夫をしようと考えている。

 

しばらくの間は、就職活動に関して書き続けたい。そして、書き溜めたことが他の人に役立てば幸いである。くれぐれも、年度に気をつけて読んでいただきたい。

 

引き続き、細々と書いてみる。適当に、撮った写真も添えておく。

 

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明日以降に備える。

やっと、連休が終わる。

 

勘違いしないように書くが、これは強がりではなく本音である。休みが続くことは憂鬱であり、同じことの繰り返しに過ぎず、無用に神経を使うだけだからだ。

 

人は、生きている間は『Work hard, play hard』の連続であるべきだ。懸命に働き、遊ぶ。両方を区分せずダラダラとやっては、自他いずれのためにもならない。

 

僕のようにいい加減な人間にとっては、基本的な原則が守られさえすればこだわる問題など特にない。…『基本』こそ、疎かにされやすい物事かもしれないが。

連休に、国際情勢を思う。

いよいよ、明日が連休の最後である。と同時に、フランスでは大統領選挙が行われる。

 

聞く限りにおいては、復古主義者と元銀行員という一風変わった構図の選挙になる。しかも、両者とも二大政党である社会党にも共和党にも属さないそうだ。

 

しかも、9日には韓国で大統領選挙がある。東アジア情勢の安定を望む僕にとっては、歴史的な問題も学問という視点から解決に近づくことを願っている。

 

この世界には、『連帯を志向する流れ』と『対立を引き起こす流れ』が存在する。中・長期的な成長を目指すためにも、可能な限り前者の流れを大切にしたい。

過酷な連休の使い方。

連休も3日目になり、憂鬱さが増す。

 

休日が続くのを快く感じていないことについては昨日も言及したが、全休の良さとしては『外出して方々を散策できること』が挙げられよう。

 

このところ、趣味であるヴァイオリンやカメラ(フィルム一眼レフを所有している)を楽しんでおり、就職活動の気分転換として役立てている。

 

物事は、その人の活かし方で決まる。できるだけ、時間を大切にするよう意識する。

昨日に引き続き。

連休2日目。そろそろ通常運転に戻したい心地だ。

 

休日は間に挟むものであり、連続して取るのはむしろ苦痛である。勝手な想像だが、『五月病』なるものも必要以上の休暇が原因なのではと勘繰ってしまう。

 

僕が目指す就職先も、『遊びと仕事に境界のない場所』よりも『仕事も遊びも真剣な場所』が多い。仕事の日は仕事一筋、休日は自己の研鑽や家族と過ごす…。

 

10年後や20年後のことなど何らイメージができずにいるが、曖昧な生活だけはしないよう今から習慣にしたい。若い頃の習慣が、将来を決めるのだから。